この書簡は、明治時代、東京に居住する旧福岡藩主黒田家の家従(家に仕えて庶務を取り扱う人)が、博多の大乗寺住持(住職)・摩尼宝洲〈まに ほうしゅう〉へ宛てたものです。黒田家の菩提所の一つである東長寺第44世住持・森輪玄〈もり りんげん〉が明治10年(1877)9月21日に亡くなったことについて、最後の殿様・黒田長知〈くろだ ながとも〉の弔意を伝えています。摩尼宝洲はのちに東長寺第45世住持となり、この書簡は東長寺に所蔵される「東長寺文書」の一通として」今日まで伝来しています。
真言宗別格本山東長寺(福岡市博多区御供所町)には、福岡藩第二代藩主黒田忠之〈ただゆき〉、三代藩主黒田光之〈みつゆき〉、八代藩主黒田治高〈はるたか〉の墓所があります。江戸時代から今日まで変わらず守り続けられた福岡藩主黒田家墓所は、平成6年(1994)度に市指定史跡となり、さらに後世へ継承するために保護されています。
なお、大乗寺はすでに廃寺となっており、博多区上川端町の大乗寺跡には地蔵菩薩像板碑などが見られます。
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