これは鎌倉時代、正和5年(1316)2月に少弐貞経が榊定禅地頭に宛てた文書です。博多前浜の石築地〈いしついじ〉の破損について、早く修理等を行えというもの。上位者の命令を受けてその実行を指示する、このような文書を執行状〈しぎょうじょう〉といいます。
石築地は、いわゆる元寇防塁〈げんこうぼうるい〉のこと。文永11年(1274)の蒙古襲来を受け、鎌倉幕府は博多湾沿岸に石積みの防壁を築きました。この修理命令を受けた榊定禅地頭は、御家人と呼ばれる武士であったと考えられます。
福岡市指定文化財・明法寺榊文書〈みょうほうじ さかきもんじょ〉は、福岡市早良区四箇〈しか〉にある浄土真宗本願寺派遍照山明法寺・住職榊氏が所蔵しています。